長谷寺
| ID | word | kana | meaning |
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| 9931 | 長谷寺 | はせでら | 本長谷寺・豊山寺・泊瀬寺・初瀬寺などともいう。奈良県桜井市初瀬(はせ)にある新義真言宗豊山派の総本山。寺号豊山神楽院。創建には諸説あり、縁起は733(天平5)とするが、天武天皇の発願にかかる道明の本長谷寺と聖武天皇の後長谷寺の二つとする説もある。本尊は十一面観音。平安時代、女性の参拝多く、中世ではアマテラスオオミカミの本地として信仰された。室町時代には興福寺の支配下にあり、戦国時代、一時衰えたが、秀吉が再興して根来寺の専誉を迎え、近世新義真言宗豊山派の総本山として新生。寺領300石。現在西国三十三か所第8番札所。 |
| 18759 | 長谷寺 | はせでら | 奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山寺・泊瀬寺・初瀬寺の別称もある。山号は豊山神楽院。西国三十三ヵ所第8番の札所。創建については、従来、天武朝に川原寺の僧道明が西岡に三重塔を建立(本長谷寺)、奈良時代の養老。神亀のころに沙弥徳道が東岡に観音堂を建立(後長谷寺)したとする本・後に区別する説が強かった。これは当寺所蔵の千仏多宝塔銅版銘と後代に再構成された縁起群(『諸寺縁起集』・伝菅原道真筆『長谷寺縁起文』など)によるものであるが、銅版は本来当寺後方の初瀬山南中腹に所在する白河にあった可能性が強まっており、その銘文も当寺三重塔建立の銘文ではなく、銅版中の多宝塔の銘と考えられる。したがって当寺の創建は、古縁起の一端を伝える諸文献(『三代実録』『七大寺年表』『三宝絵詞』『今昔物語集』『古事談』『元亨釈書』など)を考証することにより、僧道明が沙弥徳道らを率いて、十一面観音の造像を中心に養老4年(720)-神亀4年(727)のころになされたと考えるのが妥当である。当寺は、古来の初瀬山岳信仰の地に「山寺」として創建された。当初は東大寺末であったが藤原氏が俗別当として所管した。正暦元年(990)には興福寺末に移行、寺運は隆盛を極め、平安時代には貴族の長谷詣でが華やかに行われた。平安時代末期から中世にかけて貴族の保護が後退し、勧進聖の活動が寺運を支え、長谷詣でも貴族から武家・商人らに移り、室町時代には一般庶民の参詣が主流となっていく。中世末期には戦乱のため衰微、豊臣秀長がこれを嘆き根来の専誉を迎え、300石を寄進して復興につとめ、天正16年(1588)、当寺は真言宗豊山派総本山としての基礎を築き、その後も江戸幕府の保護を受けて近代に至る。寺宝として、国宝の千仏多宝塔銅版、『法華経』28巻を含む経巻34巻、重要文化財の仏像・仏画・経典等を所蔵する。 十一面観音像 長谷寺の本尊。長谷寺本堂は天慶7年(944)以後7回焼失し、現存の本尊は天文7年(1538)の復興像である。頭上に十面を頂き、左手に宝瓶、右手に念珠をかけ錫杖を執る形式は、本寺本尊古来の形制を踏襲したもので、頭部内の墨書銘によって、仏師法眼運宗・運海・運青らによって天文7年に造像されたことが知られ、『長谷寺炎上記』に記す本尊復興の記事と符合する。檜材、寄木造、漆箔の巨像で、室町彫刻を代表する紀念碑的造像として注目される。なお本尊の左脇に侍立する難陀竜王立像は正和5年(1316)大仏師舜慶作の造像銘を有し、右脇に侍立する赤精童子立像は、像内一面に交名を墨書し、天文6年、大仏師運宗らの造像銘札を納めるほか、両像の像内には正和3年・5年、明応5年(1496)・6年、天文6年・7年の年記を伴う各種願文、交名、消息、朱書『法華経』などの経典、鈴、鏡、舎利容器、錦袋その他多彩な納入品を籠めていて、中世における長谷観音信仰の実態と、本尊復興に関わる状況を知る貴重な資料を提供している。像高、本尊1018.0cm、難陀竜王167.7cm、赤精童子166.0cm。重要文化財。 千仏多宝塔銅板 『法華経』見宝塔品に基づき、釈迦の説法中に涌出した多宝塔と、その中に並坐する釈迦・多宝のニ仏、およびこれを取りまく千仏を表現している。縦83.3cm、横75cm、厚さ2cm前後。銅板の下段に銘文が鐫刻されており、それによると、まず造塔造仏の功徳を述べ、次にこの銅板を天皇のために作ること、天皇は弥勒に等しく、その聖跡を永遠に伝えるのが目的であることを説く。末尾に「歳次降婁(戌年)」7月上旬に、僧道明が80余人を率いて「飛鳥清御原大宮治天下天皇」のために造立したとある。この銘文は、右下を欠失するが、『甚希有経』(玄奘訳)、『広弘明集』(巻16)などをふまえて述作された整ったものである。戌年については686年、698年など諸説あるが、天皇は天武天皇と考え、686年(朱鳥元)7月、危篤に陥った天武天皇のため発願されたが、その崩後完成、刻銘されたとみるのが妥当であろう。銘文の書は典型的な欧陽詢風で、古代金石文中、屈指の名筆である。「銅板法華説相図」として国宝に指定されている。銘文は以下のとおり([=== ===]は欠失部分、[ ]内は『甚希有経』により補う)。「惟夫霊□(応)[=== ===]/立称已乖□[=== ===]/真身然大聖[=== ===]/不図形表刹福[=== ===]/日夕畢功慈氏□[=== ===]/仏説若人起窣堵[波其量下如]/阿摩洛菓以駄都[如芥子許]/安置其中樹以表刹□(量)[如大針]/上安相輪如小棗葉或造仏□(像)/下如 麦此福無量粤以奉為/天皇陛下敬造千仏多宝仏塔/上厝舎利仲擬全身下儀並坐/諸仏方位菩薩囲繞声聞独覚/翼聖金剛師子振威伏惟聖帝/超金輪同逸多真俗双流化度/无央庶冀永保聖蹟欲令不朽/天地等固法界无窮莫若崇拠/霊峯星漢洞照恒秘端巌金石/相堅敬銘其辞曰/遥哉上覚至矣大仙理帰絶妙/事通感縁釈天真像降茲豊山/鷲峯宝塔涌此心泉負錫来遊/調琴練行披林晏坐寧定/乗斯勝善同帰実相壱投賢劫/倶値千聖歳次降婁漆兎上旬/道明率引捌拾許人奉為飛鳥/清御原大宮治天下天皇敬造」 |