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足利持氏 あしかがもちうじ

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255 足利持氏 あしかがもちうじ 1398-1439(応永5-永享11)室町前期の武将。鎌倉公方。満兼の子。上杉禅秀の乱の鎮定後、次々と上杉氏憲の与党を制圧し、鎌倉府の支配体制を確立した。幕府はそれを不服とし、持氏を討とうとしたが、持氏は将軍足利義持に謝罪の誓書を書いて和睦したが、次の将軍足利義教になると不和になり、関東管領上杉憲実が和平を望んで画策したが、失敗に終わり、上杉憲実が上野白井城まで退き、持氏がそれを討とうとして出陣すると幕府軍は憲実を助けるため出陣、持氏は敗れ鎌倉に退き武蔵金沢の称名寺で剃髪、謹慎したが将軍義教は許さず、翌年鎌倉永安寺で自殺。