足利義満
| ID | word | kana | meaning |
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| 274 | 足利義満 | あしかがよしみつ | 1358-1408(正平13・延文3-応永15)室町幕府3代将軍。義詮の子。1368(正平23・応安1)将軍職を継ぎ、管領細川頼之の補佐を受け、1378(天授4・永和4)京都室町に花の御所を営む。1392(元中9・明徳3)南北朝合一を成就し、また土岐・山名・大内など強力な守護を制圧して幕府権力を確立し、太政大臣に進み、1394(応永1)出家後も実権を握った。1397北山に別荘として金閣を建てた。それで彼を北山殿という。1401明との国交を開き貿易につとめた。 |
| 23360 | 足利義満 | あしかがよしみつ | 1358.8.22-1408.5.6 室町幕府の3代将軍(1368・12・30-1394・12・17)。2代将軍義詮(よしあきら)の子。母は紀良子。法名鹿苑院天山道義・道有。1367年(貞治6・正平22)父の死で家督を譲られ、翌年11歳で将軍、管領細川頼之に補佐された。1378年(永和4・天授4)北小路室町の新第(花御所)に移る。翌年頼之を解任して斯波義將(しばよしゆき)にかえた。父祖の例をこえて内大臣に進むと、諸儀を摂関家にならい、武家としてはじめて准三后ともされた。1391(明徳2・元中8)山名氏清を滅ぼし、翌年南北合一を達成。1394(応永元)将軍職を辞したのち太政大臣に任ぜられたが、翌年出家。99年、仙洞(せんとう)を模した北山第へ移り、みずからを法皇に擬す。同年大内義弘らを討って西国支配を強化、1401年には明に国書を送って国交を開き、冊封をうけて日本国王と認められた。1406年、妻日野康子が天皇の准母として北山院の院号宣下(せんげ)をうけ、1408年4月に愛児義嗣が内裏で親王に准じて元服の儀を行うなど、天皇家との一体化を推進。没後、朝廷は太上法皇号を贈ろうとしたが、子の義持は固辞した。 |