板碑
| ID | word | kana | meaning |
|---|---|---|---|
| 16257 | 板碑 | いたび | 本来供養のために建立した塔婆の一種で、関東では秩父青石と呼ばれる緑泥片岩を用い、板状であるために板碑と呼びならわして来た。板碑自体に刻まれている銘文には塔婆または石塔婆とあるので板石塔婆・青石塔婆と呼ぶ人もある。関東の板碑が江戸時代以来注目され、明治時代以後多くの人によって研究調査された。現在知られる板碑では、埼玉県熊谷市須賀広発見の嘉禄3年(1227)のものが最も古く、埼玉県に古遺品が集中している。鎌倉時代の板碑が地方豪族や僧侶によって造立されことが刻銘によってうかがわれるが、板碑造立の風は次第に中級階層の庶民にまでひろがって、南北朝・室町時代に及んでその数はおびあただしく、関東の板碑の数は大小あわせて万をもって数えるほどである。一般的な形状の特色は、頂上を山形に作り、その下に二段の切り込みと額部を作り、身部は上下に広く作り、供養の対象となる本尊を仏像または梵字の種字をもってあらわし、その下方に造立の願文、本尊を讃仰する偈、願主名、年紀などを刻んだものが多い。このような多くの文字を刻むために身部の広いことが要求されて、板碑形式が生まれたといってよい。造立の目的は、死者の菩提を弔うため、または願主自体が生前に死後の法事を営む逆修のためが多いが、中世末の小さい板碑に法名と没年月日を刻んだ簡単なものは、中級階層の庶民たちの墓塔と思われる。武蔵方面の青石の板碑の中でも鎌倉時代後期前後のものには、頭部山形に鋭利感があり、梵字の字体や彫刻にも鮮明なものが多く、作品としてすぐれたものが多い。本格的な板碑の形式を示しながらも石材の関係で厚い板状になったものがある。近畿地方では花崗岩、徳島県では結晶片岩、九州では安山岩、山形県では凝灰岩を用いている遺品が相当数ある。これ以外にも自然石またはそれに近い不整形の石塔婆で、内容的には板碑と同じものは、自然石板碑として板碑に含める。茨城県から東北地方にかけて、および京都府の北部、その他各地に実例がある。一基の板碑形を完全に造形するのが普通であるが、まれに二基・三基を一石から造り出したものがあり、二連板碑(一石双基板碑)・三連板碑(一石三基板碑)などと呼ぶ。崖に露出した岩層に板碑形を彫りつけたものもあり、磨崖板碑と称する。板碑の形の起源については諸説があって、まだ定説はない。修験道関係の碑伝が板碑と同じ形であるが、碑伝は木製であり、板碑がこの形式を採用して石造にしたことも考えられる。しかし碑伝や板碑の頭部の山形と二段の切り込みが何をもとにしてできたかについてできたかについてはまだ解明されてない。五輪塔から便化したと見る説、請花・宝珠から便化したとする説がある。広い意味の板碑遺品は全国におびただしく遺存し、刻まれた銘文の内容や造立者の階層を研究することによって、一般文献にはあらわれない歴史の断面が知られる。 |