熊野三山
| ID | word | kana | meaning |
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| 4204 | 熊野三山 | くまのさんざん | 熊野三社・三熊野・熊野権現ともいう。和歌山県東牟婁郡にある宗教的聖地。熊野坐神社(本宮)・熊野速玉神社(新宮)・熊野夫須美神社(那智)3社の総称。平安前期密教の修験者・修行僧の道場として聖地化され、その信仰は院政時代から中世を通じ皇室・貴族をはじめ武士・庶民に普及し全国的に盛行した。 |
| 16879 | 熊野三山 | くまのさんざん | 紀伊国の東南部、東・西・南の牟婁三郡にわたる地域は往古の熊野国であるが、そこに熊野本宮大社(熊野坐神社・本宮)、熊野速玉大社(熊野速玉神社・新宮)、熊野那智大社(熊野夫須美神社・那智)の三大社が鎮座している。これらを総称して、熊野三山または三所と呼ぶ。熊野三(みつ)之山・熊野三御山・熊野みかさねの山・熊野三所(権現)・熊野(ゆや)権現・三熊野・み熊野の宮・熊野十二所権現・熊野十三所権現・日本第一大霊権現などともいう。それぞれ独立した別個の自治体であったが、地域を同じくするところから、やがて祭神をも共通するに至り、一種の宗教的連合体を形成するようになった。本宮は『為房卿記』永保元年(1081)10月5日条に「三所之御殿」とみえ、すでに本来の家津王子(証誠殿)・結(牟須美神)の二神のほかに、新宮の祭神速玉神を合祀していたことが知られる。新宮・那智の両山は、『中右記』天仁2年(1109)10月26日条によるに、いずれも三所の祭神を奉斎しているから、すでに本宮より二所の祭神を迎えて、三所の制に改められていたものとおもわれる。しかして『中右記』の同年の条や、降って『長秋記』長承3年(1134)2月1日条をみると、三山ともに、はやくも証誠殿・結宮・早(速)玉明神(以下を三所権現といい、三山の主斎神である)、若宮王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮(以上を五所王子という)、一万眷属十万金剛童子・勧請十五所・飛行夜叉・米持金剛童子(以上を四所宮という)の、あわせて十二所の組織を具足していたことが知られる。なお、那智は、もと那智滝という霊瀑の信仰から起ったもので、その地主滝宮(飛滝権現・飛滝神社)をあわせて十三所権現ともいうことがある。 |