詳細メモ

最明寺 さいみょうじ

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17282 最明寺 さいみょうじ 神奈川県鎌倉市山ノ内にあった。北条時頼は建長6年(1254)6月ごろに鎌倉山ノ内に別邸を構えていたが、やがて傍らに仏堂を建てて最明寺と号し、康元元年(1256)7月17日には将軍宗尊親王がはじめて最明寺に参詣し、11月23日時頼は蘭渓道隆を戒師としてこの地で出家し、法名を道崇と称した。これより建長寺の蘭渓、続いて兀庵普寧のもとに通って参禅した。また最明寺法王として北条経時十三回忌などを修行した。弘長2年(1262)10月大悟徹底して兀庵より印可された。しかし翌3年11月37歳で死去した。最明寺が禅院(臨済宗)の形態を整える時期は分明ではないが蘭渓が最明寺の開堂小参(住持が赴任して衆のために場所を選ばず宗風を教訓すること)を行なった時がそれで、あるいは弘長3年の時頼死去の前後であろうか。同年蘭渓は京都建仁寺を退いて鎌倉に帰り、文永2年(1265)兀庵退院のあとを継いで建長寺に再任した。最明寺はやがて北条時宗によって拡大されて福源山禅興寺と改称し、山門・仏殿・方丈・厨庫などの伽藍を備えることとなった。