禅興寺
| ID | word | kana | meaning |
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| 17989 | 禅興寺 | ぜんこうじ | 神奈川県鎌倉市山ノ内、明月院の西に所在したが、廃絶した寺。臨済宗寺院で山号福源山。関東十刹の一つ。開山蘭渓道隆、開基北条時宗。文永5(1268)、6年ごろの開創。『相模国風土記稿』は北条時頼が創建した最明寺旧跡を時宗が再興したと伝える。元亨元年(1321)北条貞時十三年忌供養に僧衆92人が参加していることや『東海一漚集』に「不同小々叢林也」とあるように相当の大寺であった。康暦元年(1379)鎌倉御所足利氏満は当寺を修造したが、『五山記考異』にいう伽藍は仏殿・法堂・僧堂・経蔵・山門・稜厳塔・昭堂などの構成である。寺領は武蔵国比企郡平沼郷ほかにあったが、天文16年(1547)北条氏康は当寺総門内の田畠や同所山野竹木などを明月院へ寄付している。江戸時代には住持東陽道杲が復興に努力したが、往古の時観を復するに至らず、江戸時代末期には明月院に付属する形で存続し、明治初年に廃絶した。明月院は、もと禅興寺の塔頭。現在は臨済宗建長寺派。本尊如意輪観音坐像。『鎌倉志』は開山密室守厳、開基上杉憲方と伝えるが、寺伝では山内首藤経俊開基、上杉憲方中興開基とする。室町時代を通じて繁栄し、その寺観は当院蔵の重要文化財『明月院絵図』にみられるが、寺史は未詳。寺領は山内荘岩瀬郷、常陸国信太荘内古来郷・矢作郷・中村郷などにあった。『五山記考異』には集英(客殿)・継芳・檀那塔・外門ほか四寮舎が記されている。明治4年(1871)6月罹災。現在は総門・本堂・開山塔・庫裡などの寺容で、伝上杉憲方墓や伝北条時頼墓という宝篋印塔もある。境内は国史跡。 |