天岸慧広
| ID | word | kana | meaning |
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| 18397 | 天岸慧広 | てんがんえこう | 1273-1335 鎌倉時代後期の臨済宗仏光派の僧。法諱は慧広、天岸がその道号。武蔵国比企郡の人、俗姓は伴氏。文永10年(1273)生まれる。13歳で建長寺の無学祖元について僧童となり慧広と安名された。翌弘安9年(1286)11月8日に南都東大寺の戒壇院に赴いて度牒を受け、ついで戒牒を受けて具足戒を受けた。のち四方を遍参したが、ついに下野那須の雲巌寺に至って高峯顕日に参じ、久しく侍して印可を受け、高峯の鎌倉円覚寺に晋住するに随って前堂首座となった。元応2年(1320)に物外可什・別源円旨らと元国に渡り、杭州天目山の中峯明本に参じ、また袁州の仰山に赴く途中に、翰林学士掲傒斯(文安公)を訪れて仏光国師塔銘の撰文を依頼した。泰定3年(1326)に洪州の翠巌寺に掛錫し、ついで保寧寺の古林清茂、本覚寺の霊石如芝、鶏足山の清拙正澄に謁して、本師高峯の語録に序跋を申請した。径山の万年正続院の祖塔を拝したのち、再び金陵の古林清茂の随侍して偈頌主義の家風に傾倒したが、元徳元年(1329)に竺仙梵僊に東渡を勧めて明極楚俊に付随させ、物外可什らとともに同船帰朝した。伊豆の香山寺に住し、移って鎌倉の浄妙寺に昇ったが休耕庵を構えて退居した。上杉重兼は足利家時のために、建忠報国寺を開いて始祖に請じたが、建武2年(1335)3月8日寂した。年63。仏乗禅師と勅諡された。遺著に『東帰集』があり、『五山文学全集』1に収められている。 |