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徳川家康 とくがわいえやす

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8732 徳川家康 とくがわいえやす 1542-1616(天文11-元和2)江戸幕府初代将軍。三河岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代、初名元信・元康、のち家康と改めた。院号安国院。6歳の時尾張の織田信秀、次いで駿河の今川義元の人質となる。1560(永祿3)桶狭間の戦で義元が戦死してから岡崎に帰り、今川氏を離れ、1562織田信長と結び三河を平定、1568武田信玄と今川氏の所領を折半することを約し、信玄が駿河にはいると同時に家康も遠江にはいり、ついにこれを占領、この間松平を徳川と改姓。1570(元龜1)居城を浜松に築いて移り信長を助け、近江姉川に浅井・朝倉両氏の連合軍と戦って大勝したが、1572信玄と三方ヶ原に交戦、大敗。しかし信玄の子勝頼を長篠に破り、1582ついに武田氏を滅ぼして駿河をあわせ、信長の死後、甲斐を占領し、豊臣秀吉をおさえようと信長の子信雄を利用して兵を起こし、小牧・長久手に秀吉と争ったが、信雄が秀吉と和したので、1586和睦、以後秀吉の天下統一に協力し、1590秀吉に従って後北条氏を小田原に攻め、後北条氏の故地関八州を与えられ、江戸を居城とした。秀吉の死後1600(慶長5)関ヶ原に石田三成を破り対抗勢力を一掃、1603征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開いた。1605将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれ、駿河に引退したが、1607なお大事はみずから決し、大坂冬夏の両陣で豊臣氏を滅ぼし、名実共に天下を統一して幕府の基礎を固めた。1616(元和2)3月太政大臣に任ぜられ、死後はじめ久能山、次いで日光山に改葬された。