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豊臣秀吉 とよとみひでよし

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8890 豊臣秀吉 とよとみひでよし 1536-1598(天文5-慶長3)安土桃山時代の武将。尾張中村の人。織田信秀の足軽木下弥右衛門の子。はじめ木下藤吉郎、少年時代、駿河の今川氏の家臣松下元綱に、1558(永祿1)尾張織田信長に仕え、しばしば戦功をたて、次第に重用され、羽柴氏を称した。1573(天正1)近江浅井氏滅亡後、その旧領18万石を与えられ、筑前守に任ぜられ近江長浜城主となる。1576中国征伐の任を負い、1582備中高松城を包囲中に明智光秀による信長暗殺の本能寺の変が起き、毛利氏と和して軍を帰し、山崎の合戦において光秀を破った。次いで信長死後の主導権をめぐり、織田信孝・柴田勝家と対立、1583勝家を滅ぼし、信孝を殺させ大坂に築城。1584織田信雄・徳川家康と尾張小牧・長久手に戦い和す。1585四国の長宗我部氏、1587九州の島津氏、1590後北条氏、奥羽を平定し、天下統一を達成した。この間1585関白、1586太政大臣に任ぜられ、豊臣姓を賜わり、1587北野に大茶会を催し、威を天下に示した。1591関白を養子秀次に譲り、太閤と号した。1592(文祿1)、1596(慶長1)朝鮮と明への侵略をはかって出兵したが失敗に終わった。1598、8月18日伏見城にて死去。秀吉の事業はほぼ信長の政策を継承している。楽市・楽座令、朱印船貿易制度、貨幣鋳造、都市・諸鉱山の直接支配などにより、商業資本を掌握、刀狩・人払や石高制に基づく太閤検地の実施により、税制らしい税制を確立し、公事を年貢に編入し、兵農分離を徹底させ農村を把握し、幕藩体制への基礎をつくった。