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文永・弘安の役 ぶんえい・こうあんのえき

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10739 文永・弘安の役 ぶんえいこうあんのえき 元寇・蒙古襲来ともいう。鎌倉中期に起こった元(蒙古)の日本来攻をいう。元は高麗を征服したあと、1268(文永5)以降たびたび日本に服属を迫ったが、鎌倉幕府が拒否したため、1274・1281(弘安4)の2度大軍をもって北九州に来攻。前者を文永の役、後者を弘安の役という。ともに失敗して退去し、第3次来攻の計画は未遂に終わった。鎌倉幕府では博多湾沿岸に石築地をつくり、九州の御家人に異国警固番役を課し、鎮西探題を設置するなどして防備を尽くしたが、このため九州の御家人に多大の軍事経済的負担がかり、戦役の終局近くには非御家人をも守護の指揮のもとに動員することになり、公家や寺社など荘園領主に大きな影響を与えた。