宝篋印塔
| ID | word | kana | meaning |
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| 10891 | 宝篋印塔 | ほうきょういんとう | 「宝篋印陀羅尼経」をおさめる塔。その祖型は呉越国王銭弘俶の金銅製の8万4000塔でその若干は日本に伝来。日本では平安末期からつくられ、鎌倉中期からは墓碑・追善塔に転化した。石造が多く、木・金・銅製は少ない。古代のものと中世のものとで差異があるが、後者にあっては方形塔の蓋上に数段の階段があり、その四すみにインド風耳形突起を設けているのを特色とする。 |
| 15117 | 宝篋印塔 | ほうきょういんとう | 石造塔婆の1型式。下部より方形の基礎・塔身・笠があり、その上に相輪がのる。笠の四隅に隅飾の突起がつき、笠は階段状になっているのを特徴とする。基礎の下に反花座をもつのは関東型式とされ、関西型式は塔身に格挟間(こうざま)を設けるなど地方によりバラエティがある。国東(くにさき)塔もその1つ。本来は宝篋印塔陀羅尼経を納めるものであったが、のちに供養塔として建立され、近世になると墓塔として建てられている。石造が多いがまれに木造や金銅製のものもある。五輪塔と並んで造塔数が多い。塔高は2m前後のものが一般的。平安時代後期以後定型化し広まった。紀年銘の最古例は奈良県吉野山の1287(弘安10)年銘金銅塔。 |
| 15603 | 宝篋印塔 | ほうきょういんとう | もとは陀羅尼(呪文)を納めておく塔であったが、のちに墓標や供養塔に用いられるようになった。法隆寺の橘夫人厨子扉絵(奈良時代前期)にすでにみられるから、その伝来はかなり古いようである。平安時代に木造の記録があるが、遺品は石造がほとんど(銅製などの工芸品も多少あるが)で、制作年代はすべて鎌倉時代以降である。なお「聖塔」ともいう。宝篋印陀羅尼を納めたところからその名があるが、いま見るうような形式に定まったのは平安時代中期以降のようである。これには、955年、中国の呉越王銭弘俶が金銅製八万四千塔をつくり、それがわが国にも渡来したが、その形式が影響しているといわれる。構造形式は、橘夫人厨子扉絵のものは相輪の上方に幡を翻えしているが、定形化されたものは、基壇・塔身とも正方形で、その上の笠・相輪とから成っている。笠の四隅の馬耳状の突起がこの塔の特色で、古い時代のものほど、突起の外側の線が垂直に立っている。時代が降るほど、外向きに張り出している。また軒出と基台にすべて階を作ったものと、蓮弁で飾ったものとがある。前者が主として関東地方に多く、後者は関西に多い。これは鎌倉中期以後の現象で、関東式、関西式というひともある。塔身の四周には種子(梵字)や仏像を彫り込んだりする。規模は、臼杵市(大分)宝篋印塔がもっとも大きく、高さ4.3mある。 |
| 18941 | 宝篋印塔 | ほうきょういんとう | 塔婆の一形式。中世以降主として石造塔に用いられた。宝篋印塔の名は、内部に『宝篋印陀羅尼』を納めたことに由来する。『宝篋印陀羅尼』とは、一切如来の全身舎利の功徳を集めた呪であって、40句からなる。これを誦すれば、地獄の先祖は極楽に至り、百病・貧窮の者も救われるという。中国五代末期の顕徳2年(955)呉越王銭弘俶は、8万4000基の金塗小塔を造立し諸国に分けた。その一部は日本にも将来され、銅小塔が数基現存するが、方形塔身、屋根隅飾など、のちの宝篋印塔形式に一致する部分が多い。しかし年代的に300年近い差があり、かつ意匠に相異点もあるので、直接的な関係があるかどうか、なお研究を要する。宝篋印塔形式は、中世に籾塔と称される木造小塔に用いられ、実際に『宝篋印陀羅尼』が納められた例があるが、一方この形式は舎利塔に採用され、また石造塔では、多く墓塔または供養塔として造立されたようで、一般には陀羅尼とは無関係となった。宝篋印塔形式の典型を述べると、まず基礎は方形で、上部を段形二段でせばめ(蓮花座とすることもある)、上に方形の塔身を安置する。塔身四面には四方仏またはその種字を刻む。屋根(または笠)は下部に段形二段を作って斗栱に代え、軒先は直線の帯状となり、四隅に飾(耳・耳飾・突起ともいう)を立てる。屋根面も五・六段の段形とし、頂上に相輪を置く。ただし詳細にみると、時代差・地域差・個体差はある。まず時代差では、鎌倉時代中期で大きく二分される。すなわち古式なものは、隅飾は軒先面と一体をなす。在銘塔としては、奈良県生駒市有里所在塔(正元元年(1259)銘、重要文化財)、京都市右京区の為因寺塔(文永2年(1265)銘、同)などがある。一方新式では隅飾は軒先面よりわずかに後退して立つ。奈良県吉野郡吉野町の山口区塔(弘安10年銘)などを初期の例とし、鎌倉時代後期には形式が定形化する。しかし関東など東日本では、全体に細身で、基壇や塔身を框形で囲う独特な形式が生じた。神奈川県鎌倉市の覚園寺開山塔・大燈塔(正慶元年(元弘2、1332)銘、ともに重要文化財)は代表例である。なお、室町時代以降、隅飾は次第に外方に傾斜するようになり、近世の作例では極端に張り出している。 |